四川省人民政府新聞弁公室は今月20日、2012年に成都市金牛區(qū)天回鎮(zhèn)に位置する前漢時(shí)代の古墳から発掘された古代の醫(yī)學(xué)書「天回醫(yī)簡」の整理と出版に関する記者會見を開いた。専門家が研究を重ねた結(jié)果、「天回醫(yī)簡」は散逸したとされていた古代中國の春秋戦國時(shí)代における伝説的な名醫(yī)である扁鵲の「醫(yī)書」である可能性があるという。中央テレビニュースが報(bào)じた。
2012年の緊急発掘調(diào)査では、大量の貴重な竹簡が発見。その內(nèi)容は醫(yī)學(xué)に関するもので、「天回醫(yī)簡」と命名された。10年間にわたる多方面における研究や修復(fù)、復(fù)元を経て、これらの內(nèi)容を整理した上で、出版された。
中國出土醫(yī)學(xué)文獻(xiàn)?文物研究院の柳長華院長によると、この竹簡は2000年以上水に浸かっていたため、損傷や破損が激しく、整理グループは、3年かけて竹簡を並べて、つなげ、書かれている言葉を理解するのに必要な難題や問題を解決。その後、整理して、繋ぎ合わせた結(jié)果、醫(yī)學(xué)書の竹簡が930本となり、そこには漢字約2萬文字が記されていることが判明した。これらの漢字には篆書や隷書、古隷が含まれており、被葬者が生前使用していた書で、埋葬する際の記録ではないことが分かっている。
専門家によると、竹簡には數(shù)多くの醫(yī)學(xué)用語が含まれており、古代の醫(yī)學(xué)書であると見られ、「敝昔」という人名も書かれていた。敝昔とは誰なのだろうか?前漢初期の文獻(xiàn)をさらに踏み込んで調(diào)査した結(jié)果、専門家は「敝昔」とは「扁鵲」を指すことを発見した。加えて、竹簡のほとんどは望診と脈診を合わせた診察や鍼?灸の原理に関する內(nèi)容で、扁鵲の醫(yī)學(xué)分野とも一致している。さらに、「五色脈診」の內(nèi)容も発見されており、それはまさに、「扁鵲」を象徴する醫(yī)學(xué)分野となっている。
柳院長は、「研究を重ねた結(jié)果、研究チームは『天回醫(yī)簡』は、扁鵲ともう一人の醫(yī)師?淳于意(倉公)が記した醫(yī)書で、その內(nèi)容は漢の時(shí)代の主流醫(yī)學(xué)だったことを証明した。そこに書かれている內(nèi)容から、漢の時(shí)代の醫(yī)學(xué)レベルは非常に発達(dá)しており、『中成薬(中醫(yī)薬?生薬製剤)』を使用していたほか、望診と脈診を合わせた診察の詳細(xì)な體系もあったことが分かった。これにより2000年以上昔にはすでに比較的整った醫(yī)學(xué)の理論や臨床體系があったことが証明された」と説明する。
また専門家は中國最古の醫(yī)學(xué)書と呼ばれている「黃帝內(nèi)経」は、「天回醫(yī)簡」の解説書である可能性があることも発見した。「黃帝內(nèi)経」との比較研究では、「黃帝內(nèi)経」は「経典」ではなく、経典の解説書で、教師が學(xué)生に講義する際の資料のようなものであるとみられ、その「経典」が「天回醫(yī)簡」ではないかとみられている。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2023年4月21日