四川省成都市に住み、活動する金偉氏は、著名な日本文學翻訳家である。1962年大連に生まれ、日本の日中文化協會と(仏教)説話文學會に所屬し、大谷大學文學會の終身會員でもある。2006年度日本「菩提樹」賞を受賞。金偉氏は今のところ、同賞を受賞した唯一の外國人だ。専門は日本の古典文學、仏教文學、中日比較文學。これまでに、「日本古代歌謡集」「今昔物語集」「萬葉集」などを翻訳出版した。3年連続でNHK?Eテレ「日めくり萬葉集」の選者を務めた。日本古典文學大系の翻訳研究を主催したこともある。現在は、成都大學に籍を置く。成都日報が伝えた。
以下は金偉氏と記者の一問一答。
Q:あなたと呉彥夫人は、「日本古代歌謡集」「萬葉集」「古今和歌集」「新古今和歌集」の全文翻訳を相次いで手がけ、日本で大きな反響を巻き起こした。
A:中國の翻訳家は、日本古典文學の翻訳に偉大な貢獻をした。周作人、銭稲孫、豊子愷、趙楽珄、楊烈ら大先輩が大いなる成果を殘した。
私が「古今和歌集」の翻訳に取り組み始めたとき、ある問題に気づいた。なぜ中國語で五言や七言の形にして翻訳しなければならないのか?という問題だ。これが和歌の本來の形なのだろうか?五言?七言の形式を整えるために、訳者は「語を加える」必要性が生まれる。すると音が意味の邪魔をし、原文の意味から離れてしまう恐れがある。
翻訳家の初志は、このような31音で構成された特殊な歌體を中國語読者に理解させる目的で、中國語に翻訳する際に適切な言葉を追加し、「五?七?五?七?七」の形式に調整するというものだ。和歌の中國語翻訳は、訳者各人の見解の相違によってさまざまな形で表現され得るが、いわゆる「適切に語を追加して調整する」程度については、どのように考えれば良いのだろうか。実際の翻訳作業において語を追加する際には、訳者は歌人の思考を憶測することで訳語を生み出す。この點での翻訳の出來映えは、日本古典文學に対する訳者の造詣度に左右される。私は常々、古人の心に寄り添うことだけを心掛けている。