半年前に日本で公開された3DCG版アニメ映畫「STAND BY ME ドラえもん」が28日に中國全土で公開され5日間で興行収入3億元(約60億円)を突破する記録的大ヒットとなった。その後の數日間も、中國映畫市場の興行収入ランキングで引き続きトップに君臨している。日本から渡って來たドラえもんはどのようにして中國人にとって最も馴染み深いアニメのキャラクターになったのだろうか?武漢晩報がつたえた。
■4世代にわたる中國人と「ドラえもん」の素晴らしい出會いと軌跡
1987年前後、中國大陸部の複數の出版社が著作権を取得しないまま、「ドラえもん」の漫畫を相次いで出版した。そのため、中國語に翻訳されたタイトルも、「機器貓」(ロボット貓)から「小叮當」(鈴の音ちゃん)、「機器貓小叮當」「叮當機器貓」までバラバラで、當時は「哆啦A夢」(日本語の音訳、現在の正式名稱)という名前はどこにも登場したことはなかった。これが、「ドラえもん」の中國進出の始まりだった。
1989年、ドラえもんのアニメシリーズの放送権を購入した広東テレビが、「叮當」という中國題でアニメを放送したことをきっかけにして、その後全國の各地方局でも放送された。これが、「70後」(1970年代生まれ)を主體とする中國のテレビ視聴者と「ドラえもん」との初めての出會いとなった。
1991年、中國中央テレビ(CCTV)は日本から100話を超えるアニメシリーズ「ドラえもん」を輸入し、「機器貓」という中國題で放送した。CCTVの影響力はすさまじく、その後も數年間にわたって放送されたことで、「機器貓」というタイトルは中國人の心に深く刻まれることになった。