日本國(guó)首相の安倍晉三は就任1年にあたり、幟を掲げて軍國(guó)主義の亡霊を呼び戻す靖國(guó)神社を頑迷にも參拝した。人々を一層激怒させたのは、安倍が聲明で參拝について、日本は決して戦爭(zhēng)を発動(dòng)しないとの誓いを新たにするためであり、「恒久的な平和」のためだともっともらしく述べたことだ。しかし、これは詭弁にすぎない。(人民日?qǐng)?bào)「鐘聲」國(guó)際論評(píng))
靖國(guó)神社は単なる宗教祭祀の場(chǎng)であったことはなく、日本軍國(guó)主義の精神的支柱の象徴である。第2次大戦時(shí)、靖國(guó)神社は日本軍國(guó)主義に忠誠(chéng)を表明する霊堂となった。靖國(guó)神社の祀る戦死者246萬6500人中、約230萬人が「太平洋戦爭(zhēng)」と中國(guó)侵略戦爭(zhēng)で死んだ。靖國(guó)神社內(nèi)には日本軍國(guó)主義の侵略戦爭(zhēng)を「顕彰」する物も多くある。
1978年、A級(jí)戦犯14人が「昭和殉難者」として靖國(guó)神社に祀られた。その中には戦爭(zhēng)狂にして筆頭戦犯である東條英機(jī)、中國(guó)侵略の陰謀者である土肥原賢二、南京大虐殺の元兇である松井石根、真珠灣奇襲の命令者である永野修身、朝鮮人民鎮(zhèn)圧の主犯である小磯國(guó)昭らが含まれる。彼らの中に日本の対外侵略戦爭(zhēng)の発動(dòng)者、指揮者でない者は1人としてなく、世界の人々の鮮血に両手のまみれた殺戮者でない者は1人としてなく、世界平和に対して途方もない大罪を犯した歴史の罪人でない者は1人としていない。だが靖國(guó)神社內(nèi)の「遊就館」では彼らA級(jí)戦犯が「英雄」「軍神」とされ、これら悪魔の寫真が高々と掛けられている。
靖國(guó)神社參拝は侵略戦爭(zhēng)に対する確定判決を覆し、戦爭(zhēng)犯罪人のために提燈を持つ行為だ。安倍は內(nèi)心深くでは、これをはっきりと認(rèn)識(shí)していないわけでは決してない。さもなくば、彼のような右翼政治屋が第1次內(nèi)閣時(shí)に靖國(guó)參拝の衝動(dòng)を無理にこらえることはあり得なかったし、首相に返り咲いた後に「遠(yuǎn)回しの亡霊參拝」という自他共に欺く手口を頻繁に弄することもあり得なかった。