同映畫が撮影された際、「真珠灣攻撃」はまだ発生しておらず、米國は第二次世界大戦において中立的な立場を保っていた。そのため、米國人は中國の抗日戦爭に対してもほとんど関心を持っていなかった。しかし、同映畫が上映されると、米紙「ニューヨーク?タイムズ」、米誌「タイム」、「ライフ」、英紙「デイリー?テレグラフ」など、世界の著名メディア100社以上が報道するようになり、米國人が同戦爭に対する態度を変えるきっかけとなった。
「タイム」は、「映畫に映る勇敢で善良な中國國民を、米國の映畫ファンはこれまでに見たことがなく、知る機會もなかった」、「同映畫の最後の20分は、どんな映畫にも出てこない、第二次世界大戦における、恐ろしい重慶大爆撃が出てくる」と報道した。
「ニューヨーク?タイムズ」は、「このような恐ろしい映像がもたらす苦痛は、ザ?ブリッツ(ロンドン大空襲)を超えている」と報道した。當時、中國のことがほとんど知られていなかった西洋諸國では、同映畫を通して中國の國民が、日本の侵略に勇敢に抵抗していることが知られるようになった。また、中國を支持、援助する団體が資金を調達するための宣伝としても、同映畫は用いられ、中國は各方面からの援助を受けるようになった。一部の米國の若者は映畫を見た後、アメリカ合衆國義勇軍(AVG)に加わり、中國の抗日戦爭を支援した。
1941年1月1日、當時のフランクリン?ルーズベルト米大統領は、同映畫を鑑賞。20分のみの鑑賞の予定だったものの、予定をキャンセルして最後まで鑑賞した。その後間もなく、ルーズベルト大統領は、自ら書いた巻物を重慶に贈呈した。そこには、「勇敢な重慶市の男女市民に敬意を示す。前代未聞の空襲に襲われても、市民は落ち著いており、征服されていない。テロが、自由な民族を奪い、その精神を滅ぼすことはできないことを十分に明らかにしている。このような自由を守るために表わされる忠実さは、後世を鼓舞し続け、朽ちることはないだろう」と書かれていた。
共産黨重慶市委員會宣伝部の周波?常務副部長は、「同映畫は、資料としてニュースメディアを通して報じられるほか、これからずっと、重慶三峽博物館で1年中放映される。抗日戦爭勝利70周年の今年に公開することで、歴史を銘記することを伝え、多くの人に歴史を知ってもらい、未來を示したい」と語った。 (編集KN)
「人民網日本語版」2015年4月10日