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2018年12月13日  
 

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中國で「一大イベント」から「生活の一部」に変化遂げた「映畫鑑賞」

人民網(wǎng)日本語版 2018年12月13日08:31

映畫は、中國人にとって娯楽であり、生活において重要な一部分。1970-80年代から現(xiàn)在に至るまで、映畫館はまるで雨後の筍のように次々と建てられている。統(tǒng)計によると、中國の映畫市場の興行収入は、2017年に600億元(1元は約16.43円)に迫り、十數(shù)年間で數(shù)十倍の急激な成長を見せた。中國新聞網(wǎng)が報じた。

映畫が大好きという張恒さん(仮名)は、改革開放が始まる前の年の1977年生まれ。そんな張さんがこれまで最も衝撃を受けたのが1981年に公開された中國の國産の立體映畫「歓歓笑笑」。張さんは、「赤と緑のメガネをかけて見る映畫で、まるでスクリーンの中の人々が実際に飛び出てきたように見え、館內では観客たちの驚きの聲が上がっていた」と、當時の様子を振り返る。

90年代中期になり、ハリウッド大作が中國市場に進出するようになると、中國國産映畫はやや影をひそめるようになった。張さんも、そう感じており、「初めて見た洋畫は95年の『トゥルーライズ』だった。その他、『ライオン?キング』も鮮明に覚えている。あの當時は、こんなにおもしろいアニメーション映畫があるのかと驚いた」と話す。

そして、「中國國産映畫が本當の意味で大きな話題になるようになったのはここ10年だと思う。おもしろい作品が増えた。最近見た『暴裂無聲(Wrath Of Silence)』や『米花之味(Left Behind Buddha)』などもとても面白かった。また、少し前の『我不是薬神(Dying to Survive)』も良かった」とする。

もう一つの変化として、映畫が少しずつ人々の日常生活に溶け込むようになっていることが挙げられる。

80後(80年代生まれ)の劉彬さんは98年、中國でも上映された米映畫「タイタニック」を見た。劉さんはその映畫を見た時の盛況ぶりや感想を「センセーショナル」という言葉で表し、「その後しばらくハリウッド大作が流行した。本當におもしろかったというよりは、物珍しかったから」としている。

しかし、そうした狀況にはたちまち変化が訪れた。大學生になった劉さんは、「映畫館がどんどん増え、気軽に映畫を見られるようになった。學校の周辺には、2キロ以內にいくつも映畫館があるし、それ以外にも隣にある大學の講堂で10元払って映畫を見ることもできる」と話す。

さらに劉さんは、「現(xiàn)在、映畫鑑賞が生活の一部になっている。チケットを買うのも便利だし、いろんな映畫が上映されている。映畫鑑賞は、『食事』や『授業(yè)』と同じぐらい普通のこと。周りの若者もみんなそう感じていると思う」とした。

著名な映畫評論家?索亜斌氏も、「80年代前後、一般の人々にとって最も重要な娯楽、文化消費というと映畫だった。學校も映畫館を貸し切って學生が映畫鑑賞するよう企畫したりして、映畫鑑賞は一大イベントのようでとても楽しいことだった。そして92年ごろ、中國の映畫アートがピークに達し、たくさんの優(yōu)秀な作品が登場した。例えば、93年の『さらば、わが愛/覇王別姫』(原題: 覇王別姫)」は、カンヌ國際映畫祭でパルム?ドールを受賞。02年以降、中國映畫は、市場化、産業(yè)化が進み、規(guī)範の下で、健全に発展するようになり、十數(shù)年連続で、毎年20%以上のペースで成長している。そして、映畫が大衆(zhòng)文化消費のピラミッドの一番上のような存在になり、ファッション性、特別感を帯びるようになり、代替できない最高の視聴體験となった」と分析した。(編集KN)

「人民網(wǎng)日本語版」2018年12月13日

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