「修」 李津
私と日本の「縁」は、私の作品が1990年に東京大田美術館で開催された「中國現代水墨畫展」で展示されたのがきっかけだった。その展覧會は栗憲庭(リー?シェンティン)さんが企畫した初めての展覧會だった。その後、日本のアート界の友人とは交流があったものの、日本に行くことはずっとなかった。日本について深く知るようになったことを語るには日本料理に觸れなければならない。私は10年前から日本料理が好きになった。日本料理が好きになったのには2つの理由がある。まず、私は天津出身で、子供のころから水産物を食べていたため、生の水産物も受け入れやすい。また、日本料理は食材が美しく、盛り付けや皿などにこだわり、まるでアートのよう。生の食材のくさみや冷たい食感は、日本の美意識の冷やかな美しさや上品さ、巧みさ、爽やかさ、穏やかさなどの前に全く気になることはなく、日本料理を食べる時は、舌だけでなく、目でも楽しむことができる。(文:李津。北京晩報掲載)
私が初めて日本料理を食べたのは中國ではなく、ニューヨークだった。ニューヨークでは、マンハッタンのような繁華街に日本料理店がたくさん集まっている。そして、その多くが半地下でスペースも小さいものの、こだわりの詰まった店で、味は抜群なので、たいてい予約が必要だ。3年前、友人の李光さんの案內で、日本に初めて足を運んだ。まず初めに行ったのが京都。博物館や寺院以外に、居酒屋にも非常に惹かれた。まず古い建物が殘り、日本らしさが満喫できる場所に泊まった。付近には居酒屋が立ち並んでおり、路地にも情緒があふれていた。京都の古い街並みが殘る場所の景色やその雰囲気を見て、私は中國古代?宋の都?東京■梁(■はさんずいへんに卞、とうけいべんりょう)を連想し、當時の繁栄を描いた絵「清明上河図」が目の前に現れたような感覚に襲われた。次にザ?リッツ?カールトン京都に泊まったが、その雰囲気は全く違い、そこでは日本人がどのように伝統を守りながら、西洋文化を取り入れたかを感じることができた。同ホテルは京都の真ん中を流れる鴨川のほとりにあり、窓からは、川を歩いて渡ることができる飛び石も見えた。日本は、現代化された先進國であるものの、民族の伝統や風習はしっかりと保護され、非常ににぎやかな大都市の街中でも、著物を著ている人を見かけることができる。京都では、それら全てが非常に自然で、非現実的な感じは全くない。スーツに革靴姿のサラリーマンと、情緒あふれる著物を著た店のスタッフ、「現在」と「過去」が、完全に融合している。
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