當時、包麗娟、李勝利、李楽菲、包松敏、詹嬌嬌さんは、研修生として石巻市の大興水産で働いていた。地震発生時、包松敏さんは帰國中だったため被災することはなかったが、他の4人は被災した。地震発生時、包麗娟さん、李勝利さん、詹さんの3人は勤務中で、李楽菲さんは體調(diào)を崩していたため寮にいた。包麗娟さんによると、「地震が発生し、會社の機械が倒れてきた。私が機械の下にうずくまっていたら、同僚が助けてくれた。外では警報が鳴り、ラジオでは津波が來るため、すぐに逃げるよう警告が出されていた」。大興水産の工場長である和田さんは3人を見つけ出し、避難する準備をしていた。しかし、李楽菲さんがまだ宿にいたため、李勝利さんと包麗娟さんが迎えに行き、會社に連れて來た。
和田さんは、「當時、車に4人を乗せて、高臺にあって安全な私の家に向かった。でも、道路の信號が全部作動しておらず、大渋滯となっていた。だから、4人を連れて車を走らせ、あるビルの3階に避難した。それでも心配だったので、山に逃げた。他の市民と同じく、私たちも木を切って火を焚いて暖をとり、その夜を過ごした。翌日早朝、4人と共に山から下り、避難場所を見つけることができ、安心して帰宅できた」と振り返る。
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