今回の日本行きで私を最も惹きつけたのは清水寺の古式ゆかしい風景や華やかに咲き誇る桜ではなく、東京近郊にあった小さな通りだった。その通りはショッピングセンターの近くにあり、まるで古い映畫のワンシーンに入り込んだような錯覚を受けた。歩行者はまばらで、低い建物が整然と並び、中國の街ではすでに當たり前になっている宅配の三輪車も見當たらない。理髪店、書店、雑貨屋、郵便局といった小さく精巧な店舗が一軒、また一軒と並んでいる。これは京都の清水寺周辺のような観光客向けに修復された古い街並みではなく、普通の日本人が生活する普通の街並みだ。(文:丁剛。人民日報社上級記者。環球網掲載)
21世紀の今日、世界で最も忙しく、最も繁栄していると言われている東京にこのような伝統的でスローテンポな生活を送る町並みが殘っているとは思いもよらなかった。そしてここに住む住民たちはこのような生活を望んでいることが明らかに見てとれた。
日本は歴史上2回、外國文化の劇的な襲來をうけて覚醒し、奮起した歴史がある。初めは7世紀の中國文明、そして19世紀の西洋文明の襲來だ。これにより後世の人々は自然と日本を世界で最も優れた模倣技術を有し、外部からのショックを內部の動力に転化させることを最も得意とする國であると認めるようになった。
中國の日本研究者の多くも日本文化が中國から影響を受けているというつながりに著目し、日本文化の中から中國との共通要素を重點的に探すというものが多い。中日の民間における関係改善の際に、人々が最も多く考えるのもこれらの點についてである。我々は日本はあらゆる文化の中で中國文化に最も近い文化で、最も共感を呼びやすい文化だという説をしばしば聞く。しかし結果としてはこの二つの文化は互いにぶつかり合って、結果的に総合的な作用を生じさせているのだろう。
中國人が日本に來て、まずびっくりするのが大通りや裏通りなどの公共の場が非常に清潔に保たれている點だろう。ゴミ箱は少ないものの、ゴミのポイ捨ては見られない。京都の清水寺の観光エリアで、私はある日本人が自分のリュックからビニール袋を出して、アイスの包裝ゴミをそのビニールに入れて、再びリュックの中にしまい込むのを見た。