中日関係を表すとき、政治を水面から浮き出た氷山の一角とし、文化と民間交流を水面下に隠れた大部分に例える人がいる。中日國交正常化から40年が経ち、水面下の氷山にも何度も浮き沈みがあった。今の若者たちの両親の世代の人々が、日本人俳優(yōu)の高倉健にラブレターを送った當(dāng)時(shí)と比べると、今では福原愛選手を親しみをこめて「愛ちゃん」と呼び、福原選手を贔屓にする若い世代がいる。この2世代の中國人が日本人を見るときの注目度の高低差は、中日両國の國力と國民の意識(shí)が時(shí)代と共に全く異っていることを反映している。環(huán)球時(shí)報(bào)が伝えた。
日本を訪れたのち、日本に好感を持つようになった中國人は皆、古代中國の雰囲気が漂う京都や奈良で東洋の古きよき歴史を懐かしんだり、便利で現(xiàn)代的な都市の東京や大阪で規(guī)則正しい日本人の生き方を見て、西洋や中國の未來の姿に思いを馳せていることだろう。「日本びいき」または「日本嫌い」の人たちはそれぞれの立場(chǎng)や利益という角度から、理想の日本像を作り上げたり、破壊しているのだ。
殘念ながら、京都の唐風(fēng)の雰囲気は日本人の現(xiàn)在でもなければ未來でもない。流暢な中國の東北方言を話し、中國人が一番得意とする卓球の試合で、負(fù)けても泣いているだけの福原愛選手も日本人のほんの一部でしかないのだ。中國人が語る日本はとても近いようで、実は日本はすでに中國から遠(yuǎn)く「西方」へと離れてしまっているのだ。
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