戦前の日本は軍國主義に支配され、士官になり天皇に忠誠を誓うことが多くの日本男児の憧れとなっていた。そうした社會的空気が蔓延する中、多くの日本人が入軍して侵略戦爭に參加した。日本の敗戦後、社會の変化に伴い、日本人の戦爭に対する見方には大きな変化が生じた。一部有識者の中には戦爭に深い反省の意を示し、軍人から反戦、さらに中日交流を促す友好的な人々へと変わっていった人もいる。「人民網(wǎng)抗日戦爭勝利70周年シリーズインタビュー」では今回、元日本兵でそうした変化を歩んだ金子広太郎さんを取材、その変化の背景にある物語をご紹介したい。
金子広太郎さんは1927年11月24日に宮城県で生まれ、今年で88歳になる。「88は中國ではとても縁起の良い數(shù)字」と笑顔で話す。金子さんは1980年に友好団體「日中友好元軍人の會(「日中友好8?15の會」の前身)」に入會し、その後事務(wù)局長となって數(shù)十年來反戦と中日友好事業(yè)に盡力してきた。今夏、記者が東京のある會場で初めて金子さんを見かけた際、金子さんは足が不自由なために杖を2本つきながら、自力で階段を上り下りして地下鉄に乗車していた。金子さんが颯爽と歩く姿を遠くから見て、一體どんな強い信念が金子さんを貫いているのかという疑問と興味に駆られた。