■日本留學(xué)を志すが、ビザ申請で借金を抱える
教師として日本語を教える中で、張氏の心の中に日本に留學(xué)したいという考えが浮かんできた。しかし、海外に留學(xué)することは容易なことではない。張氏は日本語の上級課程を獨(dú)學(xué)で學(xué)びながら、日本側(cè)と留學(xué)の件で連絡(luò)を取り合いながら準(zhǔn)備を進(jìn)めた。しかし、初めての留學(xué)の申請は失敗に終わった。しかも、かなりの借金を背負(fù)ってしまった。しかし、それでも張氏は日本で留學(xué)するという夢を諦めずに、2回目の申請の準(zhǔn)備を始めた。
ちょうどその頃、奈良県にある日本語學(xué)校の上田市朗校長が、張氏から送られてきた書類を見て、張氏の経歴に心を打たれた。その後、上田氏は中國にいる張氏を3度も訪ね、張氏のためにビザ申請のためのさまざまな手続きを行った。1997年4月16日、張氏はついに日本の地に足を踏み入れた。
■アルバイトをしながら學(xué)び、天理大學(xué)に合格
奈良の日本語學(xué)校で學(xué)んでいる期間、午後の時(shí)間を利用してアルバイトに勵(lì)み、それで得たお金を借金の返済にあてた。午前中は奈良市の學(xué)校に通い、午後は天理市の家電量販店で働き、夜間は宅配便を取り扱う物流會社でアルバイトをした。アルバイトが忙しくても、張氏が學(xué)ぶことを諦めることはなかった。毎日深夜に家に帰宅し、どんなに遅くなっても、日本語を1時(shí)間は勉強(qiáng)した。最終的に、張氏は語學(xué)學(xué)校の出席日數(shù)の最多記録を塗り替え、學(xué)校で唯一の皆勤となった。1999年4月、張氏は天理大學(xué)に合格し、大學(xué)で一番年上の學(xué)生となった。