國(guó)家公文書局は2日、「?jìng)ゴ螭蕜倮袊?guó)が降伏文書を受け取る」の第19部「湖北區(qū)と徐蚌區(qū)の投降受け入れ」を公式サイトで公開(kāi)した。
第19部の説明によると、湖北區(qū)の受け入れは、第六戦區(qū)の孫蔚如司令長(zhǎng)官の指揮の下に行われ、武漢、沙市、宜昌地區(qū)の投降が受け入れられた。同區(qū)の日本側(cè)の投降代表は、中國(guó)侵略日本軍第6方面軍の岡部直三郎司令官が務(wù)めた。日本軍の投降部隊(duì)のうち、第132師団、第85獨(dú)立旅団、第11獨(dú)立旅団、第5獨(dú)立旅団は漢口に集中していた。また第12獨(dú)立旅団、第86獨(dú)立旅団、第88獨(dú)立旅団は武昌に集中していた。日本軍の投降の処理は漢口で行われた。1945年9月18日午後3時(shí)、孫司令長(zhǎng)官は漢口の中山公園で岡部司令官の投降を受け入れた。徐蚌區(qū)の投降受け入れは、第十戦區(qū)の李品仙司令長(zhǎng)官の指揮の下に行われ、徐州、海州、蚌埠、安慶地區(qū)の投降が受け入れられた。同區(qū)の日本側(cè)の投降代表は、中國(guó)侵略日本軍第6軍の十川次郎司令官が務(wù)めた。日本軍の投降部隊(duì)のうち第65師団は徐州に集中していた。また第70師団、第1獨(dú)立騎兵旅団は蚌埠に集中していた。第131師団、第6獨(dú)立旅団は安慶に集中していた。1945年9月24日、李司令長(zhǎng)官は蚌埠で十川司令官の投降を受け入れた。(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年9月17日