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2014年9月16日  
 

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「?jìng)ゴ螭蕜倮D中國が降伏文書を受け取る」(17)長(zhǎng)衡區(qū)と江西區(qū)の投降受け入れ

人民網(wǎng)日本語版 2014年09月16日08:34

 國家公文書局は8月31日、「?jìng)ゴ螭蕜倮D中國が降伏文書を受け取る」の第17部「長(zhǎng)衡區(qū)と江西區(qū)の投降受け入れ」を公式サイトで公開した。

 第17部の説明によると、長(zhǎng)沙衡陽區(qū)の投降受け入れは、第四方面軍の王燿武司令官の指揮の下に行われた。同區(qū)の投降側(cè)の代表は、中國侵略日本軍第20軍の坂西一良司令官が務(wù)めた。日本軍の投降部隊(duì)のうち第20軍、第64師団、第81獨(dú)立旅団、第82獨(dú)立旅団、第2獨(dú)立騎兵団は長(zhǎng)沙に集中していた。また第68師団は衡陽に集中していた。第116師団と第17獨(dú)立旅団は岳陽に集中していた。日本軍の投降の処理は長(zhǎng)沙で行われた。1945年9月15日、王燿武は長(zhǎng)沙で坂西一良の投降を受け入れた。

 江西區(qū)の降伏受け入れは、第九戦區(qū)の薛岳司令長(zhǎng)官の下に行われた。同區(qū)の日本側(cè)の投降代表は中國侵略日本軍第六方面軍司令官兼第11軍長(zhǎng)の笠原幸雄が務(wù)めた。日本軍の投降部隊(duì)のうち第11軍、第13師団、第58師団、第22獨(dú)立旅団、第84獨(dú)立旅団は九江に集中していた。また第7獨(dú)立旅団は南昌に集中していた。日本軍の投降の処理は南昌で行われた。1945年9月14日、薛岳は南昌で笠原幸雄の投降を受け入れた。(編集MA)

 「人民網(wǎng)日本語版」2014年9月16日

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