中國は02年の日韓共催ワールドカップでW杯初出場を決めた。中國サッカーにとって、この舞臺は神から與えられた絶好のチャンスであり、これを機に一気にアジアから世界へ進撃していくという44年來の夢をかなえるはずだった。しかし、中國サッカーはそれを上手く活かせなかった。結果は1勝どころか、1ゴールも決められず、人々を大いに失望させた。しかも、中國サッカーはこの好機をつかみきれないどころか、八百長問題まで起こし、ますますW杯から遠のいてしまった。新華網が伝えた。
中國サッカーと対照的に快進撃を見せたのは日本だった。日本は98年にW杯初出場を果たして以來、今回で5回目のW杯出場となり、すでにW杯常連國となっている。初めてW杯に出場した経験は、その後の日本サッカーの発展に大きな影響を與えた。これについて、日本代表のコーチを務めたことがある小野剛氏は、「98年のW杯が分岐點となった」と語る。
98年のW杯フランス大會では、日本代表は1勝もできずに予選リーグを敗退したが、中田秀壽を代表とする多くの若い選手たちがW杯の舞臺をステップに歐州リーグへの移籍に成功した。そして、これらの歐州組の功績により、日本サッカーは現在のような大量の海外組を擁するようになった。
02年の日韓共催W杯後、中國サッカーでも海外ブームは起こったが、孫継海のほかには、誰一人として歐州リーグで安定した活躍を見せる選手は出てこなかった。その後人材は途絶え、中國サッカーの黃金時代が去り、歐州5大リーグから中國選手の姿も消えた。
W杯は選手が自分の能力を発揮する舞臺であるだけでなく、各國の代表チームが自分たちのイメージをアピールする絶好のチャンスでもある。日本の各年代のサッカー代表も98年のフランス大會後に、海外代表チームの親善試合対戦國として招待を受け始めた。これ以前なら、お金を払っても対戦してもらえなかったチームだ。