國(guó)家公文書(shū)局は22日、『中國(guó)侵略日本人戦犯供述書(shū)選』(十二)日本人戦犯?片桐濟(jì)三郎を公式ウェブサイトで公開(kāi)した。
1954年8月17日の供述書(shū)によると、片桐は1915年に新潟県で生れた。1936年に中國(guó)侵略戦爭(zhēng)に加わり、1945年8月に捕虜になった。重要な罪行には以下のものがある。
1936年6月、哈爾濱陸軍病院に於て「醫(yī)學(xué)の研究と初年兵教育の目的をもつて」仲間が一名の中國(guó)人民に「生體解剖をしました」。「人體構(gòu)造研究の目的のために、私は手術(shù)臺(tái)上に內(nèi)臟を引き出し解剖殺害を直接執(zhí)行しました」。
1936年12月~1937年1月、牡丹江陸軍病院に於て、仲間が「毒瓦斯(イペリット)の效力試驗(yàn)の目的のため」三〇歳前後の男三名を「外科小室に留置監(jiān)禁し、後手に縛つた被害者の身體到るところに瓦斯を塗布し、擴(kuò)大狀況と時(shí)間を測(cè)定し殺害しました」。
1937年9月、察哈爾省天鎮(zhèn)県で「部隊(duì)は縣城に突入後、刺殺 射殺による平和住民一〇〇〇名を虐殺しました」。
1937年8月~11月、「誘拘監(jiān)禁された朝鮮婦人に對(duì)して、熱河省承徳で一名、山西省大同で二名に強(qiáng)姦を執(zhí)行しました」。
1942年6月~12月、山東省萊蕪県で「誘拘監(jiān)禁された朝鮮婦人に對(duì)して、一名に二〇回強(qiáng)姦を執(zhí)行しました」。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2015年8月24日