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2015年6月3日  
 

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北京で古い古墳群発見 「朝鮮県」からの墓の主人も

人民網(wǎng)日本語版 2015年03月18日14:04

北京市文物局は16日、北京市大興區(qū)で後漢から遼金の時期にかけての古墳群、合計129カ所を発見したと明らかにした。これらの古墳は発掘數(shù)の多さや年代の幅、古墳の保存狀態(tài)のよさなどで最近の北京地區(qū)の考古においては珍しいものとなる。目下、古墳54カ所がまだ発掘されていないが、5月末から6月初めには発掘作業(yè)が完了する見通しだ。新京報が伝えた。

北朝の古墳からは銘文の刻まれたレンガが出土し、墓の主人が韓顕度という名前で、本籍は楽浪郡朝鮮県、元象2年(539年)に埋葬されたことが刻まれている。墓の主人の本籍の楽浪郡は前漢の漢武帝が現(xiàn)在の朝鮮半島に設(shè)置した四つの郡の一つで、現(xiàn)在の朝鮮?平壤に位置する。

衛(wèi)氏朝鮮の遺民がなぜ大興に埋葬されているのだろう?史料の記載によると、北魏の太武帝拓跋燾が北方統(tǒng)一の途中、「朝鮮の民を肥如へ移し、朝鮮県を再び置いた」という人口移住を行っていた。肥如は現(xiàn)在の秦皇島市に位置し、県には現(xiàn)在の昌黎、盧竜南部、西部、遷安県一帯が含まれる。朝鮮県は現(xiàn)在の盧竜県東部にあり、北京に近い。

これら朝鮮人移民は中國に移った後、自分の本籍を殘していた。東魏の時代になって鄴城(現(xiàn)在の河北省臨漳県)に都が移り、北京の大興は北方住民が南下して首都?鄴城へ行く際に必ず通る場所となったため、東魏時期の古墳が発見されるのも自然の流れとなる。(編集YH)

「人民網(wǎng)日本語版」2015年3月18日

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