西漢金獣(南京博物院所蔵)
1982年2月、江蘇省盱眙県の南窯荘の穴蔵から総重量20キロ以上の金が出土した。その形や文字から、穴蔵に貯蔵されていた最古の物品は、前漢時(shí)代(紀(jì)元前206-8年)のものと見られている。発見された文化財(cái)38點(diǎn)のうち、この金獣は唯一無(wú)二で、その金の純度は99%と、正真正銘の「純金」で作られていた。これを作り上げるには、精製して純度を高める極めて高い技術(shù)が必要となる。その重さは9100グラムで、現(xiàn)時(shí)點(diǎn)で中國(guó)で出土した文化財(cái)の中で最も重い金器となっている。長(zhǎng)さは17.5センチ、幅は16センチと、生後2-3ヶ月の子ネコくらいの大きさになる。
中國(guó)で早い時(shí)期から用いられていた金器の製法は、「鋳造」の一種で、型に金を流し込み、作られていた。もう一つは「錘揲」と呼ばれる製法で、ハンマーなどで強(qiáng)弱をつけながら、叩いて金器の表面に模様を作っていく。金獣は、「鋳造」と「錘揲」の両方を使って作られた珍しい文化財(cái)となっている。全身には形がやや異なるものの、同じサイズの模様が一面につけられており、これは「鋳造」で全體的な形を作った後、道具を使って叩いて仕上げられた模様だ。こうした模様をつけることで、光を反射する面が増え、一層キラキラ輝いて見える。
ではこれは何の動(dòng)物なのだろうか?現(xiàn)時(shí)點(diǎn)で、學(xué)界では全身の模様から「ヒョウ」の可能性が一番高いという見方が主流となっている。昔の人は、ヒョウは魔除けのお守りになると考えていた。そのため、ヒョウの形をした器物を作ることで、魔除けに用いていたと思われる。前漢時(shí)代の王侯?貴族の間では、ヒョウを飼いならす風(fēng)潮もあったほどだ。
當(dāng)時(shí)の人々が金獣を何に使っていたのかについては、いくつかの説がある。その1つは、敷物の四隅を抑える重しにしていたという説だ。もう一つは、國(guó)家の富を象徴する流通することはない記念貨幣だったという説だ。また、分銅のように、重さを量るために使われたのではないかという説もある。頭の上にあるフックのような形の部分は、銅や石で作った分銅の形に似ているため、重さを量るために使われていたのではないかとみられている。(編集KN)
中國(guó)の文化財(cái)は語(yǔ)る
博物館は人類文明を保護(hù)し、伝承する重要な場(chǎng)。博物館に所蔵されている文化財(cái)は埃をかぶった骨董品ではなく、いずれも民族の生きてきた証となる生きた伝承だ?!钢袊?guó)の文化財(cái)は語(yǔ)る」では毎回博物館に所蔵されている文化財(cái)の紹介を通じて、文化財(cái)に込められた中國(guó)の文化と精神について紹介していく。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2023年11月7日
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